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お世話になったご家族が本帰国となりましたので、数組の夫婦でシータック空港まで見送りに行ってきました。ノースウエスト航空の国際線は異常に混んでおり、チェックインカウンターまでは幾重にも連なる長い列でした。大きなスーツケースを持った列に邪魔にならないようにと、取り留めない世間話や空港内の人間観察が始まった「見送りご一行様」は、場所を移動して待つことになったのです。そのうちに、お隣の若夫婦がしきりに背伸びをしてファーストクラスのチェックインの様子を見始めました。「あ!」「眼鏡をかけているけど、絶対にK-1のボブ・サップだ!」「え?」。言われた方向に目を向けると体格がいいと言うより、幅が3人分もありそうな分厚い胸をした、まるで2本足で立っているティラノザウルスのようでした。
気が付くと我々夫婦はファーストクラスのチェックインカウンター近くに移動をしていました。「デジカメは持って来た?」、「なにかサインができるものを出して!」と、一方的に叫び始めたお父さんの傍らで、ハンドバックの中を探しているのはボブ・サップなんかまったく知らない女房です。「ハロー!」。何でも良いからと、お父さんは声をかけて握手を求めました。横ではまだバッグの中をゴソゴソしています。探しても宇和島屋のレシートぐらいしかないとわかったのか、「はい!」と出されたのは、自分が今まで読んでいた本でした。ボブ・サップは嫌な顔せず、余白が多いページを探すと、そこに丁寧にサインをしてくれたのです。
と、ここまでが、バーベキューのご招待を受けた秀雄オジサンの家で、今までどんな有名人に会ったことがあったかの自慢話をしていた際に、我々夫婦が披露した体験談です。このほかに、信号待ちをしていたら隣に吉永小百合がいたとか、パリでジスカールデスタン元大統領と握手したとか、サザンの桑田桂祐が友人の結婚式に出て来たとか、タレントから政治家までの「偶然見かけた有名人の話」が出ました。ボブ・サップに会っただけの内容では、インパクトが足りないと我々夫婦はさらに話を続けたのです。
それから半年後の話となります。日系アメリカ人のジュリー大塚さんが書いた『天皇が神であった頃』(“When the Emperor was Divine” by Julie Otsuka)は、ユタ州の砂漠にあった日系人強制収容所に収容された自分の家族の実話を基にした話で、女史のデビュー作でもあります。ベルビュー市で女史の講演とサイン会があったそうです。我が女房は女史の本を小脇に挟みながらサインをもらうために並んだそうです。やっと自分の番になって本を取り出し、タイトルと作者名の入ったページを探したそうです。「あァー!」。そこには、『The Beast BOB SAPP!!』(“野獣ボブ・サップ”)と書かれたサインがデカデカと。これが私のオチでした。「これでどうだ!」
「それでも甘い!」「これから話すことは、アメリカ合衆国の国家機密と言って良いほどの秘話である」と秀雄オジサン。
「は?」
「今のブッシュ大統領でなく、そのお父様である41代ブッシュ大統領にお会いしたことがある」
「それでは、フランスの元大統領に会った話のレベルと変わりませんよ!」
「いやいや、背広を着た大統領に会った話ではない」
「どうせ、大統領がジョッギング中にランニングシャツがパンツからはみ出していた程度の話でしょう?」
「バハマ諸島のナッソーにあるホテル・アトランティスのプール脇のトイレでの話じゃ」
「はいはい」
「中にはひとりだけ着替えをしている米国紳士がおってな」
「たとえ後ろ姿だけでも、何か張りつめた空気であった」
「VIPもVIPの中のVIP、米国政府ご用達と雰囲気でわかったのじゃ」
「ほぉー」
「耳からコードをたらした、体のしっかりしたSPが入り口には数人いたが、彼らは合衆国大統領の命を守っても、大事な大統領の威厳そのものを守れなかった」
「?」
「ブッシュ大統領閣下の毛むくじゃらのお尻を間近で見たことのある唯一の日本人とは、わしのことじゃー!」
「は、はぁ〜」
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<プロフィール>
横浜に長女と次女、ベルビューに妻と長男の5人家族。
1996年10月 英国現地法人JRC(UK)でパブ通い
2001年8月 新宿本社で歌舞伎町通い
2003年4月 名前だけのシアトル支店長
2004年4月 やっと自動車運転免許取得
2005年6月 お手伝い役の次女が本帰国
2006年5月 エバーグリーン男声合唱団入会 |
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