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それは総領事公邸でのレセプション会場での出来事だった。ワインをお代わりして程良く酔いが回ってきた時だった。シックなドレスに身を包んだ素敵なご婦人が、まるで私と友人の話が終わるのを待っているかのように、私のほうを見つめていた。それまで立ち話をしていた友人も、それとなく気付いたのか、空のグラスをお代わりの合図のように軽く振るそぶりを私に向けると、その場を立ち去った。
「先の話になるけど、6月1日の金曜日の夜は空いていらっしゃる?」とそのご婦人が耳元でささやいた。「え!」「今の聞こえた?」と、自分自身に問いかけた。確かに空いているけど、こんなマリナーズのヘルナンデス級の直球ストレートの誘われ方をされたのは、ウエスト29インチで、今より少しは容姿がましだった学生時代にもなかった。齢50歳を数年前に過ぎたのに自分の顔が赤くなってきたのを感じた。友人である日系企業のシアトル支店長とワシントン州主要企業の株価動向の話をしていたところに、この「ささやき」だからギャップがあり過ぎる。品の良いご婦人からお声をかけられたのだから無理もない。ひとつ向こうで輪になったグループの中に、女房がいるのがわかる。無言のまま、グラスの残りを一気に飲み干し、自分の気持ちを静めた。心はbe動詞+過去分詞+byの受動態状態なのに、また語り始めようとなさるご婦人に知らぬ間に身体を近付けていた。
「主人の誕生日祝いを、仕事関係じゃない集まりで、私が誘ったお友達だけでサプライズをしたいのよ」と、こちらの顔をうかがうかのようにそのご婦人。「そうなんですか!」と返事をしようとした自分の脳裏に浮かんだものは、意中の人がこちらを見ていると思ったら、自分の後ろに先輩がいることに気付いた学生当時の哀れで苦い思い出だった。
気を取り直して、こちらから質問した。何人ぐらいをご招待するか、場所はどうするか、趣向を凝らすか。シアトルのイベント屋と言われているだけに、変わったことをしようと頭の中はぐるぐると回転し、絶対サプライズを成功させようと思った。先ほどの胸の高まりはどこかへ消え、私にお任せくださいと丁寧にお返事を差し上げた。
2ヵ月後の誕生日となるが、当日まで本人には内緒でことを進めなければいけない。会場は、エベレットにあるゴルフ場のクラブハウス、招待客は30名と大まかなものが決まった。肝心なのは、当人に気付かれないように出席者への協力依頼などの事前の準備を整えることだ。当日の寄せ書き、風船、マイクロホン手配、写真係、誕生日のプレゼントと一つずつ決まっていった。参加者は6時半までに集合とし、会場となる個室に待機と決まった。7時に予約した個室のドアを奥様が開けると、男性コーラスによるお祝いの歌で迎えるなど、細かな演出方法も決まっていった。
当日の朝に奥様から電話を受けた。出勤前のご主人に、「今晩はふたりでお食事をしましょう」と筋書き通りの台詞を伝えたという確認だった。あとは、夕方に奥様がご主人の事務所にもう一度電話して、ふたりの落ち合う場所を伝えれば、神様の気まぐれな悪戯がない限り成功裏で終わる。おふたりの準備ができたら、会場で待つ我々に合図のワンギリ電話をするようにと必要な確認も怠らなかった。
開始15分前。奥様は、携帯電話から電話するためにご主人から離れて化粧室に向かった。何か言ってから場を離れれば良かったが、奥様もディスカバリーの打ち上げ10秒前状態で気持ちに余裕がなかったのだろう。一方のご主人は、突然雲隠れした奥様に慌てた。ゴルフクラブの顔なじみのスタッフを見つけるや「マイワイフはどこ?」と尋ねた。そのスタッフは馴染み客に気を利かせたつもりだろう、時間前なのに予約してあった個室へ旦那様を連れて行ってしまった。あわてたのは会場で待機していたメンバーの面々。突如ドアが開けられて、何かと全員が振り向くと、その日の主役と早々のご対面となってしまった。
出だしの予期せぬ事態が、本当のサプライズになってしまったが、その後は、参加者全員がご主人の誕生日を心から祝い、素晴らしい会で終わった。後日、記念に撮った集合写真がご夫婦から送られてきた。
成功して良かったと、参加者全員がにこやかに笑う写真を見ながら自宅でのビールが進む。「雨宮です。今おひとり?」「大丈夫、主人は留守中です」といった昼ドラマの一場面のような奥様との数回にわたる電話での楽しい会話が、今でも思い出される。
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<プロフィール>
横浜に長女と次女、ベルビューに妻と長男の5人家族。
1996年10月 英国現地法人JRC(UK)でパブ通い
2001年8月 新宿本社で歌舞伎町通い
2003年4月 名前だけのシアトル支店長
2004年4月 やっと自動車運転免許取得
2005年6月 お手伝い役の次女が本帰国
2006年5月 エバーグリーン男声合唱団入会 |
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