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横浜に住んでいる次女も一緒に連れてシアトルに戻ったのは、2月21日の木曜日でした。出発の前日に、それまで滞在していた吉祥寺のホテルから横浜の自宅に戻りました。次女も信州のスキー場から帰宅しておりました。その1週間前に、長女に買い物リストをメールして何を買ったのか毎日電話で確認していたのはシアトルに住む母親でした。長女は蟻のように毎日食料品を運び、その結果、部屋の隅には買ってきた食料品で山となりました。10日後に長女もシアトルへ行く予定です。深夜までかかってこの山を3人で分けたのです。
「重い、重い」と繰り返しながら、やっと横浜駅に着きました。両手は重い荷物でふさがっていても、飛行機に乗る時の習慣となった崎陽軒のシュウマイ弁当とカレーパンを買うことも忘れませんでした。YCATからリムジンバスで成田に向かいました。会議続きと、荷造りで疲れたのか、目を覚ますと空港ターミナルの近くまで来ていました。チェックインでは、荷物の重量制限も問われることもなく無事通過し、出発ゲートには早めに着くことができました。
搭乗時間となり列に並ぶと、ベルビューで開催されるセミナーの会場でしかお会いできない美人の日菜子さんが数人前におりました。お父さんは鼻の下を伸ばしながら挨拶をしたそうです。席に着くまで顔がゆがみっぱなしだったとも後で娘から言われました。確かに、上野発の夜行列車なら隣の席に座ることもできたと不謹慎なことを考えていたことは事実です。それからシアトルに着くまで9時間近く、隣の席は母親仕込みの娘です。「お小遣いは米ドルでいくらもらえるか」から始まり、最後には父親の中性脂肪から酒の量までたくさんの質問攻めにお父さんは長時間耐えたのでございます。
シータック空港へは定時に着きました。入国審査もすんなり終わりました。早々出てきたふたり分の荷物をカートに載せ、椅子に座っている係官に税関申告書を渡しました。日菜子さんのことを思い出して相当なニヤケ面だったのでしょう、右手のカウンターへ行けと指示を受けました。東洋系はいつもターゲットになりやすく「荷物が多いから、またか」と諦めてすべての荷物をX線の台に載せ、係官から出る次の指示を待ちました。商店街の抽選ではいつもはずれ券だけでティッシュしかもらえないのに、シータック空港では、もれなく当たり券が出ます。今まで何回となく特別に選んでいただいたありがたい経験を積んでおりますので、スーツケースの中には、カレー、肉類は一切入れておりません。日本酒と焼酎を何本入れたかと不安になりましたが、お奉行様の前で「何もお咎めになるものはありません」と胸を張っておりました。
一番大きいお父さんのスーツケースが標的になりました。娘の目は、これから始まる手術を見守るかのようにゴム手袋をはめた係官の手元に集中していましたが、お父さんは、荷物検査もなく通り過ぎる日菜子さんの後ろ姿を追っていました。開けられたスーツケースは、学生時代の4畳半の下宿のようで全く整理がされていません。力ずくで詰め込みましたので、開けた途端に、片方だけの靴下、丸めたままのワイシャツが勢いよく飛び出しました。それまで押し込まれて息もできずに苦しかった紙パックの日本酒、焼酎が押しのけたのです。衣類がシャンペンのようにはじき出されたあとに、雲の合間から顔を見せたのが、5袋入りのインスタントラーメン5個でした。これだけはケースの角をうまく利用してスペースを無駄にしないように丁寧に置かれていたのです。
係官がこの5個をテーブルの上に置き始めました。パッケージに肉の写真がついていないラーメンばかりを買いましたので、安心していると、『チキンエキス』とカタカナで書かれたところを指差し、「これはChickenです」、「これも同じ」と床に放り投げて行きます。
死んだお婆ちゃんがよく言っていました。「食べ物を粗末にするんじゃない!」それなのに苦労してやっと海を越えて持ってきた食べ物を床に捨てるとはなんだ。チキンそのものでなくて、チキンのエキスを使っているだけと、娘の英語力で説明しても、係官は全く聞く耳を持ちません。鳥インフルエンザの対象国から来たチキン食品は「入り鉄砲に出女」と激しく取り締まりを当局からご指導を受けているからでしょう。業務の一環でカタカナのチキンまで覚えさせられたほど用意周到です。次に彼から静かに告げられたのは、北町奉行風の口回しで「申告書にはFoodを持ってきたかの問いに対し”NO”と申告してあるではないか、本来なら虚偽の申告で200ドルの罰金となる」と「磔獄門のうえ市中引き回し」に等しいお達しでした。素直にお縄でなく、ラーメンを諦めたのでございます。
長女が西友で買った5袋入りで500円 X 5が惜しい訳ではありません。シアトルでも普通にインスタントラーメンは買えます。コカコーラの味が国ごとに味が違うように、アメリカで売っているラーメンも味が微妙に違うのです。日本で買ったラーメンを、休日に女房が出掛けた隙に、宝物のように出してきて息子と具を考えて鍋に入れるのが、平凡なお父さんの唯一の楽しみなのです。だからこそ、愛妻からあれほど強く頼まれ購入した本と雑誌は、重過ぎると勝手な判断で横浜に置き去りにして、そのスペースに大好きなラーメンを入れてきたのです。本と雑誌は横浜に置き去りにされたので命が助かり、代わりにアメリカ行きの優先権を得たラーメンが島流しの刑となったのです。
ラーメンを取られたとはいえ、飛び出した衣類を入れるのは、スーツケースの持ち主の役目となります。今度は日本酒と焼酎が移動しないように、しわくちゃのワイシャツ類をその間に詰め込みました。修学旅行の団体さんが去った後ですから大部屋が空きました。横浜に残した本と雑誌を入れるスペースが今頃になって確保できても後悔先に立たずで、お土産を心待ちにしている恐ろしいお代官様にどうやって説明すれば良いのか、詰めながら手が震えていたお父さんでした。
先ほど開けたばかりのスーツケースを家で開けました。「雑誌は高かったでしょう!」と、キッチンから女房の声が聞こえてきます。いつ真実を切り出すかと悩んでいると、「お父さん、開けられなかった私のスーツケースの中には、お湯をかけるだけのチキンラーメンが一袋入っているよ!」と言いながら、娘は自分のスーツケースからお土産をテーブルの上にのせ始めました。そこへ、コーヒーの入ったマグカップを片手にお代官様がお出ましになりました。それからが1週間は続いたお父さんの悲劇の始まりです。何が起こったのかって? それは、皆さまのご想像通りでございます。
| <プロフィール>
横浜に長女と次女、ベルビューに妻と長男の5人家族。
1996年10月 英国現地法人JRC(UK)でパブ通い
2001年8月 新宿本社で歌舞伎町通い
2003年4月 名前だけのシアトル支店長
2004年4月 やっと自動車運転免許取得
2005年6月 お手伝い役の次女が本帰国
2006年5月 エバーグリーン男声合唱団入会
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