2008年3月号 


シアトルに住むお父さんの独り言
(「待ち人来たらずのスーパー」の巻)

雨宮敏徳 日本無線(JRC)
 

笑える話上下の組み合わせ、色のコーディネートなどと言われても、服装に関しては無頓着ですから、お父さんは、腹が出た自分の体型に合うゆったりめの服装をもっぱら愛用しております。家族と外で待ち合わせると、会った途端に、「何ですか、その服装は! パジャマよりひどい」と、よく叱られます。そう言う時に限って、よく女房の知り合いに出会うこと、出会うこと。悪いことをしているわけでもないのに、こちらは女房のひと言がまだ耳元に残っており、一歩下がって控えめにご挨拶をすることになります。

そう言われ続けたとしても、外出は絶えずスーツ姿でというわけには行きません。ネクタイを締めて、スーパーで野菜を買うのは、古い人間のお父さんにとっては、非常に抵抗があります。会社の帰りに野菜をスーパーで買って来るように頼まれても、「キャベツ」だけをレジに持って行く勇気を持ち合わせていないので、必要のないものまでもカートに詰め込むことになります。それは高校に入学したばかりのころ、平凡パンチやプレイボーイの週刊誌だけがほしいのに、レジにいるお姉さんを気にして絶対に開かないとわかっている参考書を数冊買ったのとよく似ております。

回りくどい説明が続きました。「どこのスーパーへ行っても女房の友達に会うのに」が今回のテーマです。食料品の買い出しの運転手役のために結婚したと言われて20年は経ったお父さんですから、いつも大きな買い物カートを押して奥方さまの後を追い掛けます。ところが買い物をしていると、そこでたまたま会った顔見知りの主婦と長話が始まるのです。「お久しぶり」から始まり「そう、そう!」の連呼が出始めると長時間ドラマの始まりとなります。その間、お父さんは、暇をつぶしたくても、スーパーの中をゆっくり何周も回るしか手だてがありません。様子を見ながらまだ続きそうだと、アイスクリームをまた元の場所に返し、その次は冷凍のピザが心配になり、バター、牛乳、ハムへと手が伸びて行きます。お父さんにも少しは学習能力がありますので、アイスクリームは買い物の最後にかごに入れる習慣がつきましたが、元に戻したことをすっかり忘れて、家に帰ってから愛と情のないお咎めを受け、ひとりまたスーパーへ向かうという苦い経験もさせていただいております。

実は、この大好きなスーパーの店内に5時間近くもいたことがあったのです。この話は、車のタイヤ交換から始まります。ホンダの保守点検に車を出した際に、「すべて完璧に点検をしたが、タイヤだけは交換しないと磨耗が激し過ぎます」と忠告を受けました。そういえば、免許を取るために自動車学校に通い始めた息子が母親に「教習所の車に比べて、ブレーキの利きが悪い!」と言っていたのを思い出しました。早速、タイヤをよく見ると、まさにツルツル状態でよくも女房はこの車で毎日運転しているなと感心しました。『酒飲みで薄給の旦那が、保険金目当てにツルツルになったタイヤの車を意図的に女房に運転させ、コーナーを回りきれなかった末……』と新聞記事になったら一大事です。そんな折、車のタイヤの販売もしている大型スーパーからの、タイヤの$60割引券を女房が目ざとく見つけてきました。

イサクアまで最後のツルツル運転を楽しみました。いつもの駐車場ではなく、右側にある修理工場みたいな入り口に車を入れて、受付で車のメーカー名と型式を告げ、料金を支払いました。タイヤの交換作業中に、こちらは食料品の買い物と時間は無駄にしない心算です。キーを渡しながら、「買い物は1時間以内で終わる」と話し掛けると、「あなたは17番目だから引き渡しは今夜の9時だよ」と言われました。店が閉まるのは8時ですから、スーパーから締め出されてから1時間も外で待つことになります。マリナーズのゲームだって4時間以内で終わるのに、今から5時間後の話です。「車1台で来たので、家に車を取りに帰る!」と店員に言いますと、「受付は最初からやり直すことになるよ!」と忙しそうに返答されました。仕方なく、どうにでもなれとキーを渡した夫婦でありました。

とりあえず、店の中に入りました。大きなものは買えない。店の閉店時間の8時を過ぎても買った物を車のトランクに入れることもできないからです。「大丈夫よ、誰かに会うから、その人に家まで乗せてもらおう!」と女房の妙案が出ました。考えてみると、いつも夫婦喧嘩をしながら買い物をするYさん、メモ書きを確認しながら買い物をするSさん、気に入らない品物をよく返品するMさんなど、必ず会うだろう候補者は沢山います。安心していつもの通り、カートが山盛りになるほどに買い込みました。

閉店の8時近くになって、お互いに顔を見合わせました。いつもの常連さんは、シアトルからいなくなってしまったのでしょうか。お父さんは、重いカートを両手で押して、店員におかしな目で見られようが必死にスーパー内の「お百度参り」をしたのでした。「誰ひとり知る者もいない人込みの中をかき分けていく時ほど、はなはだしく孤独を感ずることはない」とゲーテもうまく表現したものです。その日に限って知人がひとっこひとりいない不思議な日でありました。 

そのうちに開店時にはカートを押し合う買い物客でごった返す入り口付近が、妙にさびしく電灯に照らされているだけの時刻となりました。買ったものを無造作に置き、溶け始めたアイスクリームを何個も食べて、車がタイヤ交換を終えて出て来るのを待ちました。いつも開きスペースを探して何周もするあの広いスーパーの駐車場に、今は車が1台もありません。夫婦の会話も次第に途切れてきました。とそこに、聞きなれたエンジン音と共に、ライトをつけた1台の車が登場しました。引換券を差し出すと車のキーを渡されました。新タイヤの性能をチェックしたかった訳ではありません、檻から開放されたに等しい状態の行動心理をご理解いただけるでしょうか。そこには夜9時を過ぎた無人のスーパーの駐車場があります。お父さんは、同乗者の静止も聞かず、スピードを上げて大きく、大きく広い駐車場を何周も回ったのでございます。

<プロフィール>

横浜に長女と次女、ベルビューに妻と長男の5人家族。
1996年10月 英国現地法人JRC(UK)でパブ通い
2001年8月 新宿本社で歌舞伎町通い
2003年4月 名前だけのシアトル支店長
2004年4月 やっと自動車運転免許取得
2005年6月 お手伝い役の次女が本帰国
2006年5月 エバーグリーン男声合唱団入会

同筆者による記事のバックナンバー:2004年10月号 | 2004年12月号 | 2005年1月号 | 2005年3月号| 2005年5月号 | 2005年7月号 | 2005年9月号 | 2005年11月号| 2006年1月号| 2006年3月号 | 2006年5月号| 2006年7月号| 2006年9月号| 2006年11月号| 2007年1月号| 2007年3月号| 2007年5月号| 2007年7月号| 2007年9月号| 2007年11月号>| 2008年1月号



Japan Business Association of Seattle (Shunju Club)
919 124th Ave. NE, #207, Bellevue, WA 98005
TEL:425-679-5120 FAX:425-679-5122 E-mail:shunju@jbaseattle.org
Copyright ©2008. Japan Business Association of Seattle. All rights reserved.
サイトの内容、写真およびイラストの複製、無断転用を禁じます。