シアトル日本商工会(春秋会)のあらまし
戦前1922年に、当時シアトルに事業所を持つ数社の日本企業が集まり、領事館と共に「木曜会」を結成、情報交換の場を創設しました。太平洋戦争により「木曜会」は自然消滅しましたが、戦後1952年に「火曜会」と名を改めて日本企業の集まりが再度発足しました。
この「火曜会」こそが、後に日本・日系企業の親睦団体として発展する「春秋会」の母体となりました。戦後の日本経済の発展に伴い、シアトル地域へ進出する日本企業もその数を増し、「火曜会」傘下に集う企業も順調に増加して参りました。
1960年、当時三井物産支店長であった中山久氏を会長とし、正式に親睦団体がスタート、新たに「春秋会」と名付けられました。
「春秋会」存立の目的は“会員相互の親睦を図ると共に子女教育の充実、地域社会との交流及び貢献など、会員共通の問題を議し、全体の向上・発展を企図する”と定められていました。そして、何よりも会員企業の従業員子弟の教育を充実させること、すなわち日本への帰国時に子弟がスムーズに日本の学校・教育環境に順応できるように、日本のカリキュラムによる授業を実施するシアトル日本語補習学校の設立を第一の目標としておりました。
1971年、念願のシアトル日本語補習学校が、春秋会を運営母体として設立されました。幼稚園、小学部、中学部、高等部から成るシアトル日本語補習学校は、児童・生徒数52名、教員4名でスタートを切りました。
以後、日本語補習校の生徒数が着実に増加する背景に、日本企業のノース・パシフィックへの進出の急増が考えられます。春秋会も増加する会員のニーズの多様化に対応して、組織の見直し・改編を繰り返しながら、いかに会員の要望に応え、地域社会との交流を深めて行くか、その時々の会長をはじめとする執行部は苦労を重ねて参りました。
組織上の主な動きの中には、交流部会(1988年)、商工部会(1992年)、スポーツ・文化部会(1994年)の創設や「さくら会」を交流部会・女性分科会として編入(2001年)したこと、また、専任事務局長制度の確立(1997年)などが挙げられます。
シアトル日本語補習学校に通学する児童・生徒の数が増えるに連れ、必ずしも日本への帰国を前提としない、いわゆる永住者の子弟の入学希望が顕著になって来ました。この時代の要請に応え、帰国子女の為の補習校から脱却し、真摯に日本の教育を受けようとする子供達に広く門戸を開放することになりました。帰国を前提としない子弟数が半数を超えた現在でも、補習校創立30周年(2001年)を機に、「さくら組」「しゃくなげ組」のクラス編制を導入して、補習校存立基盤である“日本への帰国時に日本の教育環境にスムーズに順応できる準備を帰国子女に提供する”ための努力を、春秋会として続けています。
2002年、長年慣れ親しんできた「春秋会」の名称を止揚して、「シアトル日本商工会(春秋会)」と呼称することになり、組織創立の原点に立ち返って会の活性化に取り組んで行こうとしています。
故ケネディ大統領の言葉を引用し、“会が何をしてくれるかではなく、会のために何ができるかを考えよう”との気概を皆で持ち続けます。
対外活動の例:シアトル桜祭り、高校生日本語スピーチ・スキットコンテスト、イーストサイド日本祭り、日米協会・日系人会その他地元の諸団体への協力・寄付。シアトル日本語補習学校校舎借用校の、米国人教師の日本への派遣、地域の実業界・学校関係者・文化団体との交流、セミナー開催。会員相互の親睦を意図したゴルフ・トーナメント、テニス・トーナメント、家族ピクニックの催行。
広報活動:月刊機関誌『SHUNJU UPDATE』の発行。2002年10月1日からウェブサイトを立ち上げる。